南部鉄器と聞いてどういうイメージを持つでしょうか。
「格好良いけど、扱いづらそう」
「おみやげ屋でよく見るけど、私には敷居が高そう」
岩手を代表する伝統工芸品にも関わらず、
私のように、本当の価値を知らない”岩手人”も多いのではないでしょうか。
そんな南部鉄器の魅力をつぶさに伝える学校があるのを知っていますか?
盛岡市の鉄瓶屋「kanakeno」(カナケノ、田山 貴紘代表)が手がける
“てつびんの学校”
2018年11月から、盛岡市中ノ橋のプラザおでってを会場に開校し、
月に1〜2回のペースで受講者に南部鉄器の歴史や正しい使い方を伝えています。
現役の職人が講師を務める本格的な内容ということもあり、
初めての取り組みにも関わらず、
申し込み開始から希望者が殺到したといいます。
これまで全7回のうち、6回を終えて最後の「修了式」を残すのみ。
「留年したい」
「終わるのがさみしい」
フィナーレに向けて、ますます盛り上がりを見せているこの学校が、
1日限りで東京にやっていくると聞き、受講してきました。
てつびんの学校首都圏版は
2月9日(土)、東京都千代田区の3×3Lab Futureで開かれました。
年に一度の岩手の祭典「岩手わかすフェス」の一角には、
午前11:30の開校と同時に、私を含め約20人が集まり、満席。
外には雪がチラつき、凍えるような寒さでしたが、流石の人気です。
kanakenoの田山代表が”校長”、高橋和氣さんが “用務員”として、講師を務め、
TVスクリーンを使い、6回分を1回のダイジェスト版として教えてくれました。
田山校長
高橋用務員
岩手県で南部鉄器を作っているのは、盛岡地区と水沢地区の2箇所あり、
それぞれの歴史は異なるそう。
盛岡の南部鉄器は、
もともと、南部の殿様が江戸時代に
日本各地から鋳物師や釜師などの技術者を呼び寄せたのがはじまりのよう。
それが弟子たちに受け継がれ、現在の形になっていったといいます。
約400年の歴史を継ぐ、伝統的な工房はいくつかあり、
その中の一つ、鈴木盛久工房さんで職人として技を磨いてきたのが、
校長の父・田山和康さんです。
和康さんは、昭和49年に文化庁の無形文化財に指定された
第13代鈴木繁吉盛久さんに師事。
半世紀にわたり鉄瓶作りに力を尽くし、
2018年には「現代の名工」に選出されました。
田山校長は、そんな父・和康さんの指導の下、
鉄瓶づくりの技術を一から学んだといいます。
技術を習得する中でも
「ものすごい怒られた」と振り返る、
職人がもっとも力を入れる部分が
“型作り”
鋳造の南部鉄器は、
デザイン決定後、まず型を作り、その型に溶かした鉄を流し込み、鉄器の原型を取り出し、加工するー
という大きな工程があります。
(工程を細かくすると100ぐらいあるらしいですが。。。)
この中でもっとも大切で、難しいのが
型作りなのです。
鋳造には大きく分けて「焼型」「生型」の2つの製造方法があります。
同じ型を何度も使え、大量製造が可能な「生型」に対して、
一つ一つの型を手作りすることで、細かい表現を可能にする「焼型」。
「生型」は機械製造が可能ですが、「焼型」は手作りでしか作れません。
その分、焼型は作った後の鉄瓶の重さが半分ほどの軽さになるそう。
この焼型を使い、軽さと繊細な表現を特徴とする田山さんの鉄器は、
型を作るのに、より卓越した技術が必要で、この「型作り」の技術だけでも
「習得に数年はかかる」と言います。
鋳型は川砂と粘土を練って回しながら作りますが、
その濃度は肌感覚で判断するそうです。
まさに、五感を研ぎ澄ませた職人がなせる技。
少し濃度を間違えるだけで、鉄瓶にしたときに穴が開いてしまうと言います。
ただ、それだけに
「うちが作る薄い型は、機械だって再現できない」
田山校長は、誇りと自信をにじませます。
そんな細かいタッチで表現する鉄瓶の型。
模様をつける「肌うち」と呼ばれる作業にも、
一つ一つに職人のこだわりが、侘び寂びの精神が詰まっています。
例えば、荒々しい肌には、力強さを
さくら模様には、儚さを表現しているといいます。
「イライラしている時に、肌うちすると荒々しくなってしまう」
田山校長は笑顔で語ります。
模様を打ち込み、鋳型の口の型を埋め込んだら、
いよいよ溶けた鉄の流し込み。
冷やした製品を取り出し、蓋、持ち手(つる)を作ったあとで、
800℃〜1000℃で焼きあげます。
この表面に漆を焼き付けると完成です。
漆を塗ることで表面が黒くなり、
みんなが知っている南部鉄器の色になるそう。
漆にはサビ止めの意味合いもあります。
鉄瓶によっては赤みを帯びた色もありますが、それは漆の種類や塗り加減によるもの。
ここにも職人のこだわりが現れるんですね。
盛岡に現存する15ほどの工房の中でも、
若手が多い工房「タヤマスタジオ」。
そのブランド「kanakeno」は、
南部鉄器の伝統を活かした、新しい価値をデザインしています。
「職人の技術を、価値を、伝えていく義務が僕らにはある
その上で、何か新しいことが出来れば」
そう力強く語る田山校長が描く”未来の鉄瓶”
今から楽しみで仕方がありません。
岩手人にとって身近な南部鉄器は、
深い歴史と熟練の技術の結晶そのものでした。
「てつびんの学校 後編」では、南部鉄器の使い方について、レポートします!