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【盛岡本】定年を受け入れられなかった男の延長戦「終わった人」

こんにちは。盛岡本ブックレビュー第2弾をお送りします!

今回ご紹介するのは、内館牧子さんのベストセラー小説『終わった人』です。
舘ひろしさん主演で映画化もされたので、ご存じの方も多いと思います。
主人公である田代壮介の出身地が盛岡であるということから、作中でも重要な舞台として描かれます。
岩手県の地方紙・岩手日報(作中でも登場します!)をはじめ複数の地方紙連載を経て2015年に書籍化されました。
今回は2018年に刊行された文庫版をもとにしてレビューしたいと思います。

(映画のロケ地にもなった盛岡市の高松の池。春には満開の桜が池の周りを彩ります) 

 主人公の田代壮介は63歳。盛岡市の名門進学校を卒業後に東京大法学部に進み、新卒でメガバンクに入社。バリバリと仕事をこなし出世街道をばく進してきた男です。ただし、途中までは。

順調に出世ルートを歩んでいた壮介は、あるとき子会社に出向を命じられます。役員すらうかがっていた壮介にとっては、衝撃の人事異動でした。そして行った先では最終的には専務の役職に就きますが、数年後には完全に転籍を命じられます。これで銀行に復帰する芽は絶たれた。壮介は不完全燃焼な心を持て余しながら日々を過ごし、そして定年を迎えます。物語は壮介が会社を去る当日、「定年って生前葬だな」という感慨を抱くところから幕を開けます。

生前葬という喩えに象徴されていますが、壮介はまだ体力的にも気力的にも元気な現役のビジネスマンです。少なくとも、本人はそう自認している。
しかし、仕事を辞めなければならない。一線を退かなくてはならない。
「元気でしっかりしているうちに、人生が終わった人間として華やかに送られ、別れを告げる。生前葬だ。」という心情描写もあります。
これは社会的に「終わった人」になってしまった壮介が、時に周囲を巻き込みながら、「終わりたくない」と悪戦苦闘を繰り広げる物語なのです。

定年退職した壮介は仕事への未練を抱えながら、鬱々とした日々を送ります。通っていた職場はなくなり、無目的に過ごす1日が繰り返されていく。仕事で培った人間関係は急速に失われていき、メガバンクで活躍していた時代の恩恵もあっという間に薄れ、そして目の前に広がるのは膨大な時間。これがあとどれくらい続くのか・・・・・・。

(サケの上る川こと中津川の中の橋。壮介にとっても重要な意味を持つ場所になります)

「終わり」を拒んで七転八倒

「終わった」ことを受け入れられない壮介は、東大法学部を卒業しメガバンクで活躍した輝かしいキャリアに見合う散り際を探すかのように、「自分にふさわしいように思える」さまざまなことに興味を持っては中途半端に離れていきます。詳しくはネタバレになるため省略しますが、この迷走ぶりは痛々しく胸に迫ります。「俺はまだやれるはずだ」という強い自負心。それとは裏腹に、着実に「終わった人」化は進んでいく。世間から、社会から相手にされなくなっていくのを誰よりも壮介本人が敏感に感じている。いやだ、まだ終わりたくない。居場所がほしい。今度こそ、完全燃焼できる何かがほしい・・・・・・。本人が必死で自分の価値を主張しても、周りにはそれが受け入れられない。

そんな壮介の苦しみを作者はどこかこっけい味を感じさせるコミカルなタッチで描きます。これもまた、リアル。本人にとっては死活問題で皆に思いを共有してほしいと願っていても、周囲や世間にとっては「何をどうでもいいことにこだわってるんだ」と受け取られることはよくあります。人生100年とも言われる時代。60代はまだまだ若い。壮介の同世代は共感する人も多いと思います。若い世代も「ありえる未来の自分」というリアリティを感じることができるんじゃないでしょうか。

七転八倒の果てに壮介は、思いがけず再挑戦の機会を得ます。学歴もキャリアも生き、正当な評価を得られるような納得の居場所を。しかし、それはさらなる激動の展開につながっていきます。
物語の紹介はこれくらいにしておきましょう。作中で繰り返される言葉の一つに、「散り際千金」というものがあります。散り際、最後こそがその者の価値を決める、という意味。「終わる」ことを拒み、自分が納得できる散り際を求める壮介の物語の顛末はぜひご自分の目でご確認ください。

(作中にも登場する盛岡駅近くの開運橋。晴れた日は遠くに岩手山が見えます)

盛岡は遠きにありて思うもの?

うっかり忘れるところでしたが、これは「盛岡本」のレビューでした。ここからはこの作品に登場する盛岡を紹介していきたいと思います。

この物語における盛岡は、主に主人公の壮介の回想や思索の中に登場します。盛岡一高をモデルにしたと思われる名門の進学校で勉強に励んだ輝かしい高校時代や、故郷に残している母や妹、亡き父の思い出。懐かしい故郷の味。壮介自身が東京在住で近年はまともに帰郷していないという事情もあり(この理由は作中で明かされます)、物語の途中まで盛岡は基本的に壮介の中で過去の風景として描かれます。「ふるさとは遠きにありて思うもの」とは室生犀星の詩の一節ですが、『終わった人』の中盤までは、壮介にとっての盛岡は遠くから思う土地として描写されます。

しかし、物語のあるときから、壮介の中の「盛岡」の位置づけが反転します。詳細は伏せますが、端的に言えば壮介の中で盛岡が現在の風景になる瞬間が訪れるんです。それは「終わった人」扱いされていた壮介が再起をかけて足掻いた果てにたどり着いた心境にもリンクします。物語が終盤にさしかかるにつれて、壮介の中で盛岡がどんどん存在感を増していく。そしてついには……。
物語を貫く重要な要素として、盛岡出身の歌人・石川啄木がたびたび言及されます。啄木もまた、東京など「遠き」場所から故郷を懐かしみ続けた1人。「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」なんてJR上野駅を舞台にした短歌もありました。作中では帰省した壮介が、故郷の山河を前に啄木の別の短歌をかみしめるシーンがあります。盛岡出身の方だけでなく、故郷から離れて生きるすべての人が共感できる名シーンだと、個人的には思っています。

作者の内館牧子さんは本作を執筆するに当たり、「岩手の友人知人を総動員」(あとがきより)したそうです。定年後を描いたエンタテインメント小説としても抜群に面白く、「盛岡本」としても読みどころたっぷりの『終わった人』。ぜひ手に取ってみてください。

【参考図書】
終わった人(おわったひと)
著者:内館牧子
レーベル:講談社文庫

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