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さんさ踊り インタビュー

【スポットライトモリオカン】盛岡・岩手に導かれてアナウンサーの道へ NHK千葉放送局キャスター・熊谷彩花さん

盛岡を離れて活躍している方々にスポットライトを当て、盛岡との関わり方や盛岡愛をうかがい、さらに次のインタビュー対象者を紹介していただくリレー形式のインタビュー企画「スポットライトモリオカン」、第5回目をお送りします。
前回お話をうかがった弁護士の石川真也さんのご紹介で、NHK千葉放送局キャスターの熊谷彩花さんにご登場いただきます。今回もオンラインでお話をうかがいました。

 

岩手の観光PR活動を通じて気付いた、伝える仕事の面白さ

――盛岡との関わりについて教えてください。
生まれも育ちも盛岡市で、大学卒業までの22年間盛岡で過ごしました。盛岡市加賀野出身、岩手大学人文社会科学部卒です。小学生時代から、さんさ踊りがとにかく大好きで、大学卒業までの14年間くらい毎年さんさ踊りに参加していました。盛岡にあった芸能事務所にも所属していて、大学時代は盛岡のFM放送局「ラヂオもりおか」でパーソナリティーを2年ほど務めたり、イオンでイベントのMCなども経験しました。選挙のウグイス嬢をやったこともあって、大学時代は幅広くしゃべるお仕事をやっていました。

ほかには岩手の冬の観光PRキャンペーンガール「ゆきうさぎ」として全国をまわり、各地のイベントブースで岩手のスキー場や温泉の魅力を発信したりもしていました。ゆきうさぎは現在もう無いんですが、初代がタレントの山川恵里佳さんで、私は第13代目のゆきうさぎでした。さんさ踊りの団体にも所属し、ミス横笛として各地で演舞することもありました。

――大学時代の活動の幅がすごいですね! それ以前、中学校や高校時代も伝える仕事には興味があったのでしょうか?
小学4年生から高校3年生まで、ずっと放送委員会ひとすじでやってきました!
最初はお昼の放送もできるし、面白そうだからという理由で入りました。その後、ある出来事をきっかけに、本格的に放送の魅力を感じることになります。

その出来事は私が小学校6年生で放送委員長をしていた時期に起こりました。あるとき放送前のマイクのテストで、その日のゲスト出演者に「テストだから好きなことをしゃべっていいよ」と伝えたら、すごくふざけたことをしゃべったんです。私も「テストだからいいか」と思ったんですが、実は全校一斉に流れるボタンがオンになっていて(苦笑)
ふざけた内容の会話が学校中に流れてしまって、すぐに先生も放送室に駆けつけてきて大変怒られました。ただその時に、ボタン1個でたくさんの人に思いとか言葉とかを伝えられることって、怖いけどすごく面白そうだな、と思ったんです。それが放送業界に興味を持ったきっかけです。

アナウンサーの仕事への関心は、その後の活動を通じてさらに強くなっていきました。大学時代にラヂオもりおかでは週に1度、1時間ほどの番組を担当させてもらっていました。毎週金曜夕方、岩手の面白いスポットや美味しいお店などを中継でお伝えしたり、スタジオでリスナーの皆さんからメッセージをいただきながら掛け合い形式でお伝えしたりしていました。アナウンサーを目指していた当時の自分にとっては本当に貴重な経験でした。

また、岩手の観光PRガールとして各地をまわる中で、出会った方々からは「岩手ってこんなところなんだね、知らなかったよ」とか、「こんなにいいところなんだね」、「今度このスキー場に行ってみよう」などといった感想をもらいました。自分がご紹介した言葉によってそうした反応をいただいた時、自分の言葉で伝えることで人の心を動かすことができるんだと実感できて、すごく面白いなと思ったんです。「テレビ業界に絶対入るぞ!」という気持ちがより強くなりました。
 

岩手の冬の観光PRキャンペーンガール「ゆきうさぎ」としての活動風景(右が熊谷さん)

 

世間に知られていない人や活動に光を当てる仕事のやりがい

――大学卒業後はNHKのキャスターになられたとうかがっています。どのような経緯があったのでしょうか。
岩手で生まれ育ったので、大学卒業後は岩手県の民放の放送局で働けたら一番いいなと思っていました。しかし私が大学3年生だった年の3月に東日本大震災が発生し、その影響か、アナウンサーの新規採用はしませんという民放がほとんどでした。

そこで改めてどこで働こうかと考えたとき、「岩手をいちど離れることで、岩手の良さに改めて気付けるかもしれない。関東に出てみよう」と思い、NHKの関東の放送局を受けることにしました。 ではどこに行こうかと考えていたところ、NHK前橋放送局がたまたまキャスターの募集を出している時期だったんです。試験を受けてみたら、群馬の土地も人も岩手にすごく似ていたんです。自然が豊かできれいで、人もすごく優しく温和な方々が多くて、アットホームな感じがして。この土地なら、22年間盛岡で過ごしてきた私も働けるんじゃないかと実感して、ここで働いてみようと決意しました。

群馬県のNHK前橋放送局のキャスターとしては3年間勤めます。その次はステップアップしたいという気持ちと、あとはきらびやかな都会も味わってみたいなという憧れもあってNHKの横浜放送局に移り、5年間勤めました。昨年(2020年)の4月にNHK千葉放送局に移って現在に至る、という流れです。

――22年間ずっと地元の盛岡で暮らしていて、就職でそこを離れるとなったとき、葛藤や不安などはありましたか?
もちろんありました。一人暮らしもしたことがなかったので、どういうものなのかという不安もありましたし、放送業界で働くこと自体が初めてだったというのもあり。それまで私が学生のころ見ていたテレビとはやっぱり全然違う、泥臭い部分を1年目の時は特に実感しました。「岩手に帰りたい……」と思った時もありました。

ただ、取材を続けて毎日のようにテレビに出演していると、地域の方々がとてもよく見てくれていることを感じました。街を歩いていると「NHKの熊谷さん」と話しかけてもらうことがたくさんあって、地域の方々に知ってもらえているなと。群馬の皆さんが自分のことを受け入れてくれたと実感するようになってからは、ホームシックは感じなくなり、すごく楽しくなってきました。

 

NHK前橋放送局時代。料理ロケの様子


――群馬、横浜と移り、現在は千葉。普段はどんなお仕事をされているのでしょうか
すごくたくさんのことをやっているんですが、ひとつは千葉県内のニュースを読み、情報をお伝えする仕事です。もうひとつはテレビ番組のリポーターとして千葉県内各地に取材に行ってリポートする仕事。そしてラジオ番組のパーソナリティーもやっています。このほかにイベントの司会などもやっていて、幅広く仕事をしています。

一般的にアナウンサーやキャスターというと、記者やディレクターが作った原稿を最後に読み上げる役割というイメージだと思います。私の仕事はNHKならではの側面があって、そのイメージとは異なるところもあります。「これは伝えたいことだから、取材させてください」と自分で上司に提案して、実際に提案書を書いて、現地に取材に行って、自分で台本を作り、編集をして、ナレーションを入れて放送する、という一連のことを全部やる場合もあるんです。これはNHKのキャスターならではのことだと思います。

――台本作りや編集までご自分でやられるとは驚きです。もちろん毎回ではないと思いますが、それでも負担に感じることはありませんか?
私はむしろ、それが好きなところなんです。社会人1年生の時は「アナウンサーやキャスターの仕事ってこういうことじゃないのでは?」と思ったこともありました。しかし、「ほかの放送局などでは取り上げられていないけれど、すごく困っている」という方々を自分で発見し、自分なりに取材して伝えることができることはやりがいです。

NHKのキャスターには表彰制度もあって、私も数年前に表彰を受けたこともあります。地域の方々の魅力をたくさんの人に届けられた、ということを評価していただいたようです。それもあって、取材するテーマから自分で決めることができるというのは仕事の強みであり、魅力だと実感しています。
世間には知られていないけど大変な状況にある人や、光は当たっていなくとも地域で輝いている人たちがたくさんいます。そうした方々の活動や思いを細かく取材して、皆さんにお伝えするのは自分の得意分野かな? と思ったりはします。

もちろん、芸能人やスポーツ選手など著名な方々にお話を聞いたり、ロケでご一緒したりという「ザ・アナウンサー」のような仕事ができる魅力もあります。

 

千葉放送局での取材風景。コロナ禍に負けず頑張っている方々を取材することも多い



――お仕事をしていて、大変なのはどんなところでしょう?
ゲストがいらっしゃる生放送では、何が起こるかわからないところもあります。ほかには、台風や地震、気象など災害に関する情報がいつ入ってくるかわからないので、いかに素早く的確に対応するかは難しく、大変なところです。力量が試される部分だと思います。私自身、大学3年生で体験した東日本大震災では、電気が通じなかったため、情報をラジオに頼っていた経験があります。言葉だけしか聞こえないラジオを通じて、その時の大変な状況の情報を仕入れていました。

現在、自分がラジオ番組を担当するようになってからは、当時の自分を思い出しながらやっています。言葉だけでどのように臨場感をもって伝えるか、いかに状況が想像できるように伝えるか、といった部分を試行錯誤しています。 現在は新型コロナウイルスに関する情報を手厚くお伝えすることが多いです。大変な時にどんな相談窓口があるかなど、生活に直結する情報は丁寧にお伝えするよう心がけています。

 

もっと全国に知られてほしい、夏の盛岡の熱い風物詩

――これまで群馬、横浜、千葉の各地でお仕事をされています。それぞれの土地での思い出を聞かせてください。
群馬は温泉大国で、その点も岩手と似ているなと思いました。岩手の冬の観光PRキャンペーンガール時代も岩手の温泉をたくさんPRしましたが、群馬でも温泉ロケをたくさんやりました。

横浜はやっぱり都会で、最先端のことに取り組んでいる人たちがたくさんいる土地でした。ゆかりの著名人やスポーツ選手も多く、アイドルの方々とお仕事する機会もあり、キラキラとした世界を体感できました。

横浜では毎週1~2回ラジオの生放送を担当させてもらっていました。岩手で震災の時に感じたラジオの大切さ、そして面白さをしっかり生かせるようにしようと気を付け始めたのが横浜時代のことですね。大きな台風があったとき、どこの小学校なら避難所として受け入れてもらえるか、どこに行けば水や食料があるか、といった災害情報を最前線で伝えることを横浜で初めて経験したからです。

千葉に来てからは新型コロナウイルスの影響もあり、現場に足を運んでいろんな方からお話を聞くというのはなかなか難しい状況です。しかしコロナ禍だからこそ、大変な状況の方々をしっかり取材して伝えていきたいと思っています。都会でもあり、自然豊かな千葉県なので、そういった地域ならではの取材をたくさんしていきたいです。

――盛岡を離れて10年近くになるかと思います。いくつかの土地を経験したからこそ実感している盛岡の魅力があれば、ぜひ教えてください。
大きく分けて2つあります。ひとつは自然がとても豊かで、美しいことです。水も澄んでいましたし、星空もきれいでした。盛岡に帰省したときは、新幹線を降りたときに感じる澄んだ空気にすごく感動します。そうした自然の素晴らしさや美しさは、ほかの土地には負けません。

もうひとつは、さんさ踊りです。市内の人たちが一体となって楽しむさんさ踊りは、盛岡の最強の強みだなと思います。ここまで市内全体を巻き込んで盛り上がるお祭りは、私がこれまでまわってきた地域にはありませんでした。もっともっと全国レベルで、さんさ踊りを知ってもらいたいと思っています。

これまでお祭りを取材する機会もありましたが、まち全体でというよりは、若い世代中心でやっていたり、ご高齢の方々で伝統の祭りをやっていたり、ということが多かったんです。さんさ踊りは全世代が楽しめて、笛や太鼓、踊りなどさまざまなポジションで楽しめます。首都圏に出てから「さんさ踊りはすごいんだよ」という話をすると、私の周りはほとんどの人がさんさの存在を知りませんでした。仙台の七夕まつりや山形の花笠まつりは、けっこう知られているんですが。機会があれば、さんさ踊りのことをもっと紹介したいです。

 

大好きだというさんさ踊りに参加した際の写真。ミス横笛としても活動していた



――さんさ愛がすごい! さんさ以外に、盛岡の好きなところはありますか?
盛岡は美味しいものがたくさんありますよね。盛岡冷麺が大好きなので、盛岡冷麺が食べられる関東のお店にはよく行っています。福田パンも小学生のころからずっと食べていて、いまでも好きです。抹茶あんが特に好きですね。福田パンにかなうあんバターは無いな、と思います。ソウルフードですね。

ただ心残りもあります。大学時代はアナウンサーになる夢のため経験を積むことに力を入れていたので、喫茶店など盛岡の素敵なお店だったり、地域の魅力を自分の足で体感しに行こう、ということはまだ考えられなかったんです。だからこそ、いつか絶対に岩手に戻ろう、という気持ちでいます。まさに、盛岡から出て外から見ることで、改めて盛岡の良さに気付かされました。

――もし盛岡の魅力をアナウンサーとしてPRするなら、どんな言葉で伝えるか、聞かせてもらえますか。
いろんな側面があるので難しいですが、もし私がいまのお仕事をしながら関東の皆さんにお伝えするとしたら、たとえば「圧巻! 盛岡の熱い夏」のようなタイトルをつけて、さんさ踊りにかける皆さんを紹介したいと思います。 さんさ踊りに参加していた当時も思ったんですが、普通に学校や仕事に通いながら、さんさ踊りに命をかけているような人がたくさんいますよね。それがすごいなと思っていましたし、それを関東の方々が知らないのがもったいないと思います。ですので魅力を知ってもらい、ぜひ参加してもらいたいですね。

 

 

盛岡の若い世代に伝えたい、アナウンサーや放送業界の魅力

――アナウンサーあるいは個人として、挑戦してみたいことや今後の展望があれば教えてください。
現在、NHKの放送に関わる仕事に幅広く関わらせてもらっていますが、フリーアナウンサーとしても各地のイベントや結婚式での司会などをやらせてもらっています。フリーアナウンサーとしては関東地域での活動がメインですが、お世話になった岩手・盛岡にもどんどん恩返ししていきたいと強く思っています。

10年ほど放送の仕事で培ってきたものを、これからは地元に返すことに力を入れていきたいと思っています。盛岡関連のイベントや結婚式の仕事もしたいですし、若い世代にアナウンサーの仕事の魅力を伝えていく機会をいずれ設けたいなと思っています。私の学生時代は、盛岡市内でアナウンサーの勉強をできる場はあまり無かったんです。

アナウンサーの勉強をする場がないという理由で夢を諦める若者も、実は少なくないんじゃないかと思っています。アナウンサーという職業や放送の仕事が、岩手・盛岡の子どもたちにとって身近になればいいなと思います。そのために、自分の経験を伝えたいです。放送業界を目指さない人にとっても、社会人としての話し方やコミュニケーションについてお伝え出来るんじゃないかと考えています。

――リトルもりおかでキャリア系の企画を開催するときなど、ぜひご参加いただきたいです! 最後に、熊谷さんにとって盛岡とはなんでしょうか?
私をアナウンサーの道に導いてくれた大切な場所です。岩手の観光PRガールの経験などがあったからこそ、とてもやりがいのある現在の仕事に就くことができましたから。もしこれが大都会だったら、PRを担う人はたくさんいるので、学生の身でそうした経験は得られなかったと思います。岩手・盛岡にとても感謝しています。

熊谷彩花さん
盛岡市加賀野出身、岩手大学人文社会学科学部卒業後、NHK前橋放送局、横浜放送局を経て、2021年現在、千葉放送局にキャスターとして勤務。大学時代は岩手の冬の観光PRキャンペーンガール「ゆきうさぎ」として、全国各地で岩手の魅力を発信した。

聞き手:シュン

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