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【もりでり連動特別インタビュー】盛岡大通商店街協同組合が実現した、新型コロナワクチン職域接種。発案者が語るその舞台裏

モリオカンの皆さまこんにちは。盛岡のテイクアウト&デリバリー情報を発信するInstagramアカウント「もりでり」、活用いただけてますでしょうか。

おかげさまでフォロワーさんは約1200人に。2022年1月現在、新種の変異株が全国的に猛威を振るっており、コロナ禍は依然として予断を許さない状況です。引き続きぜひ「もりでり」をご活用ください。さて今回は、「もりでり」連動特別インタビュー記事の第2弾をお届けします。

盛岡大通商店街協同組合で2021年秋、新型コロナウイルスワクチンの職域接種を行ったというニュースをご存じでしょうか。職域接種は従業員が1000人を超える大企業などが行っていたイメージが強く、初めて聞いたときは「盛岡で、しかも大通で!?」と正直耳を疑いました。

そこで、「もりでり」を通してつながった大通商店街協同組合に取材を打診し、職域接種発案者で「大通・飲食店ワクチン職域接種推進実行委員会」実行委員長を務めた内舘茂さんにオンラインでインタビューを行いました。するとワクチンの職域接種は、「もりでり」同様、盛岡の飲食店支援のための取り組みだったことがわかってきました。実現にあたってはやはり、様々なハードルがあった模様。コロナ禍における飲食店や大通商店街の奮闘を、ぜひ感じていただければと思います。
 

ワクチンの職域接種は「わからなかった」からこそ実現できた

――2021年秋、盛岡大通商店街で新型コロナウイルスワクチンの職域接種を行ったというニュースを知り、とても驚きました。どのような経緯で職域接種を実施することになったのでしょうか。

2020年春にコロナ禍になってから、大通から人がいなくなってしまいました。そこで飲食店支援をやろうという話になり、(菅原)誠くんたちとお弁当販売をやりました。それがお弁当パラダイスにつながったわけですが、ワクチン接種も実はお弁当パラダイスと同じく飲食店さんを支援しようという気持ちが背景にあります。

コロナ禍のまま2021年になり、ワクチンの話題を耳にするようになりました。コロナ禍が長引き、大通の飲食店さんは「きょうあす店を続けられるだろうか」という心境だったと思います。ムードもあまりよくなかった。「この状況を変えるためにはワクチンしかない」という話は、仲間内でもよく話題になっていました。

「大通でワクチンを打てないだろうか」と考えていた(2021年)6月23日の夜、河野太郎ワクチン担当大臣(当時)が「6月25日でワクチンの職域接種の申請を打ち切る」と発表しました。関係各所に相談したところ難色を示されることもありましたが、なんとか25日夕方、締め切りギリギリのタイミングで申請することができたんです。 「申請さえできれば、あとはうまくいくだろう」とほっとしていたら、実は申請が終わってからのほうがもっと大変でした。関係者間の調整もありましたから。
 

 
――たくさんのハードルがあったんだろうと想像します。それでもワクチンの職域接種を実現できた理由はなんでしょう。

「素人」「わからなかった」からこそ実現できたんです。事前に大変さがわかっていたら、諦めていたと思うし、できなかったと思います。実際にやってみたら本当に大変で、人生のベスト3に入るくらいでした。そこをこじ開けることができたのは情熱と思いです。

組合側もコロナで大変で、私の会社も去年(2020年)の春ごろは売り上げが半分くらいに減ったので、「飲食店さん支援をしている場合なのか?」という話はありました。しかし私も経営者だからこそ、「きょうお客さんが来ない」「あす店が開けられないかもしれない」ことの恐ろしさはわかります。まして飲食店などの水商売は、街の人流と密接にかかわる商売です。コロナ禍における恐怖心たるや……。

大通の飲食店支援は、私や仲間たちが自分の全人生や会社を捨ててまでやることではありません。「それでも、できることがあるならば、やるしかない」と思っていました。様々な偶然と奇跡も重なり、職域接種の申請と実施を実現することができました。 「旗を揚げる」ことが大事だったなとも思っています。最初は一人で始めたことですが、利他の心で旗を揚げたことで手伝ってくれる人たちが現れました。
 

飲食店支援の職域接種は「将来の大通りのため」

――実際に職域接種を行ったときのことを聞かせてください。

(盛岡市菜園のホテル)ニューカリーナを会場に、9月上旬と10月上旬の土日の4日間で行いました。当初は大通のリリオを会場に、週末の2日間で500人接種を2度行い、その約1か月後に2回目のワクチンを打つのべ8日間のスケジュールで進めるつもりでいました。

しかしワクチン接種のスケジュールが決まったのがギリギリだったこともあり、どうしても(候補日の8日間のうち)リリオを使えない日が出てしまったんです。「1日だけ別の場所にできないか」と国に交渉したところ、それは絶対に認められないと。会場を探したところニューカリーナでできることになったんですが、こちらもどうしても使えない日がありました。そこで当初の予定を変更し、2日間で1000人接種し1か月後に2回目を打つスケジュールになりました。

今回の職域接種の対象は基本的には大通の飲食店さんが対象です。大通商店街組合を中心とする接種の実行委員側は、キャンセルが出た分は打ちましたが、活動としてはボランティアだったんです。

60~70年前、大通り商店街は物販中心の商店街だったため、現在の組合員も昔からの物販店さんが中心です。ただ、これから大通が生き残っていくためには、飲食店さんと一緒に力を合わせてやっていかないといけません。なので「なんで組合員はワクチンを打てなくて、組合に入っていない飲食店さんだけ打てるのか」という声もありました。しかし組合の若い世代の賛同もあり、「将来の大通のためだ」と理解していただくことができたんです。
 


――職域接種を実現したことで、どのような反響や影響があったのでしょう。

「コロナ禍のなかで、お客さんが少しでも安心して大通に足を運んでもらえるといい」「飲食店さんが堂々と営業できるようになるといい」との思いで行ったのがワクチンの職域接種です。数量的な成果はわかりませんが、今後コロナ禍が収まった後に、飲食店さんと一緒に大通を盛り上げていくきっかけになったらいいなと考えています。中心市街地の活性化には飲食店さんの力が欠かせませんから。

――大通商店街の現状についてはどのように考えておられますか。

私たちの子供のころは、「遊びに行く」というと大通だったんです。若い世代の皆さんは知らないと思いますが、歩行者天国はかつて、少しの先も見えないくらいの人出だったんです。データ的に見ても、平成5年には1日当たり1万1千人の人が大通を歩いていました。それが平成30年には3千5百人。コロナ以前の時点で、街を歩く人の数が3分の1以下になっていました。

コロナ禍を経て大通がどうなっていくのかはわかりませんが、大規模なパーティー等は減っていくかもしれません。以前は「会合やパーティーに出ないと、商売から取り残されるんじゃないか」との不安があり、週に何度もそうした場に参加していました。しかしコロナで飲み会や会合がなくなり、それでも商売はできることがわかりました。

もちろん人と会うのは今後も大切なんですが、どうしても必要なもの以外、数百人規模のイベントは減るかもしれません。 大通の街も、大箱の宴会をターゲットにしていた場所は厳しくなっていくかもしれない。小規模で店主さんとお客さんが顔の見える関係を作っているお店は生き残るでしょう。これは飲食店に限らず、ほかの業種もそうです。「1対他」ではなく、「1対1」がより重要になってくるんだと思います。
 

閉まっているお店の数に驚いたワクチン接種のチラシ配布

――コロナの影響で閉店してしまったお店が大通にもたくさんあると聞いています。

たくさんありますし、やっぱり寂しいですよね。私自身、街に出ていなかった期間が長かったため、「いつの間にか閉店していた」お店がたくさんあったんです。なぜ閉店に気付いたかというと、今回のワクチン接種がきっかけです。

ワクチンの職域接種の実施に当たり、手分けして飲食店を1軒1軒回ってチラシを配りました。大通界隈の飲食店の数は、現在約1千店舗といわれています。私は2百~3百店舗回りました。7月末と8月のお盆前、午後7~8時ごろに回ったんですが、体感的には3分の1くらい閉まっている印象でした。もちろん完全に閉店してしまったのか、一時的にお休みしていたのかはわかりません。曜日や時間帯の関係もあると思います。ただ、閉まっているお店は多かった。

開いているお店も、お客さんはほとんどいません。店の扉を開けると、店側は私をお客さんだと思って「いらっしゃいませ!」と喜んでくれたんですが、チラシを持ってきたと説明するとガックリされてしまって。お盆前の書き入れ時の時期にそれですから、私も「これはまずい」と愕然としました。

――実際にお店を回った人だからこその、実感のこもったお話だと感じます。

そうですね。ワクチン接種のチラシ配布のためでなければ、あれだけたくさんのお店を回ることはなかったでしょう。それに、感染者が増えていた時期だったこともあり、配布する側も「どこかで感染するんじゃないか」と正直怖かった。でもチラシ配布のためでなければ、入ったことのないお店やビルに行くこともなかった。チラシを配布したことで、飲食店の大変な状況を把握できました。
 

 

「盛岡を外から見て思うこと」を発信してほしい

――少し話題を変えましょう。内舘さんご自身も盛岡のご出身ですが、盛岡のいいところってどんなところだと思いますか?

フワッとした答えになってしまうかもしれないけど、ほかの街と比べて文化的な香りがする街だと思います。自然も荒々しい感じではなく、ちょうどいい塩梅だなと。たとえば中津川。私の原体験は中津川と岩手公園と大通なんですよ。中津川は川幅も大きくなく、少し上流に向かって歩くと川沿いに素敵な建物もある。岩手公園もですが、小ぢんまりとはしているかもしれないけど、文化的な雰囲気のある自然、そしてこの街が好きですね。

ただ、課題もあると思っています。東京から東北に進出しようとすると、立地的にはまずは仙台に営業所を構える企業が多い。でも仙台から秋田・青森を見るのは難しいので、仙台の次は盛岡に拠点を置く。だからこれまでは何もしなくても栄えてきました。でも、最近はそれだけではうまくいかなくなっている。

「地方創生」という言葉にはたくさんの要素がありますが、ひと言でいうと「人口を維持し増やすため、お金の使い方や街づくりをどうしていきましょうか」ということです。あまり心躍る話じゃありませんが、人口が減っていくことはもう確定しています。「人口が減っても元気な街づくり」を考えていかないといけないと思っています。

――リトルもりおかは、盛岡とつながっていたい首都圏在住の20~30代によるコミュニティーです。私たちより年長で実際に盛岡に暮らし、大通の振興に携わっている内舘さんの立場から、何か期待することはありますか。

皆さんの個別の活動についてすべて把握しているわけではありませんが、素晴らしいと思います。私自身、若いころは東京で働いていて「最先端をわかっている」と思っていましたが、盛岡で暮らす時間が長くなるにつれわからないことも多くなってきました。

盛岡じゃない場所に暮らしていて盛岡を好きな人たち、それも若い世代の目から現在の盛岡がどう見えているのか。それを教えてもらうことはとっても大切です。それが全部正解かはわかりませんが、正解であることもけっこう多いんじゃないかと思います。現地で暮らしているとわからないことも多いので。

私たちの世代は若い世代の話を素直に聞かなきゃいけないですし、リトルもりおかの皆さんのような若い世代の方々は、ぜひ「盛岡を外から見て思うこと」を教えてくれたり発信してくれたりしてほしいです。街づくりに関して「街づくりには、わかもの、ばかもの、よそものが必要」というベタな言葉がありますが、これはその通りです。

盛岡も含め、地方が自分たちの街を自分たちで作っていかなければいけない時代が来ています。都市間競争になったときに、東北は首都圏や西日本に比べるとやっぱり弱い。そうなったときに、盛岡が好きな「わかもの、よそもの」であるリトルもりおかのような人たちが重要だと思っています。リトルもりおかの発信に、盛岡に暮らしている若者も共感するところがあるでしょう。ただ、活動で使命感に燃えちゃうと楽しくないと思うので、楽しく活動してくださいね(笑)

もしいつか盛岡に帰ってこれる人がいたら、一緒に街づくりをしたいですね。リトルもりおかのような若い世代の方々が、将来帰ってきたくなる街づくりをするのが、地元にいる私たちの役目だと思っています。


聞き手:シュン

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