リトルもりおかでは今年(2020年)9月、盛岡秋まつりをオンライン盛岡マップ「Kozukata」上に再現する特別企画を開催しました。今年は新型コロナウイルス感染拡大のため、盛岡の秋を彩る盛岡秋まつりも中止になりました。例年この時期に盛岡中心部を鮮やかな山車がパレードする秋まつりは、盛岡市民にとって秋の風物詩です。それが楽しめないのはやっぱり残念……ということで、夏のさんさ踊りに続く特別企画第2弾として、『盛岡山車非公式サイト 秋風』とのコラボレーションでオンラインでの秋まつりを繰り広げました。
コラボにより、意外と知られていない盛岡山車全出演組紹介や八幡下り・大絵巻パレードを写真や動画を使ってKozukata上で紹介することができ、迫力満点のオンライン秋まつりとなりました。 今回はそんな「秋風」主宰の小山優さんのインタビューをお届けします。山車との出会い、秋風立ち上げのきっかけ、サイト運営がもたらした出会いなど興味深いエピソードが満載です。盛岡から離れていても、地元の秋まつりと関わる生き方があるようです。
盛岡を離れたことが「秋風」立ち上げのきっかけに
――「秋風」のサイトを拝見しました。秋まつりや山車の情報が質量ともにすごい充実ぶり! 小山さんおひとりで情報収集されたんですか?
そうです。子供のころから集めたものも含めて、自分の持っている資料をしっかり残すつもりでサイトを作ったので、ずっと以前から積み重ねたものです。
僕は盛岡市山岸の出身で、最初は趣味として山車の絵を集めたり、山車の写真を撮ったりしていました。山車の関係者とも関わりを作っていくなか、大学進学で盛岡を離れるときに山車とのかかわりが薄くなるなと。どうしたら秋まつりと関わり続けられるかを考えたときに、せっかく集めたものもあるしサイトを作ってみようかと考えました。秋まつりを発信することにも興味があったので、それも理由のひとつです。
実は秋風を立ち上げた2006年は、僕が参加者として秋まつりに関わった最初の年にあたります。盛岡での高校時代も山車の関係者の方々と仲良くさせてもらっていましたが、皆さんからは「大学に進学するまでは勉強しなさい。進学してから思い切り山車に関わればいい」と言われていたんです(笑) それで大学1年生の時に、「来るべき時が来ましたよね!」と本格的に関わるようになったんです。
――進学や就職で地元を離れることでお祭りから遠ざかるというケースは聞きますが、小山さんの場合は地元を離れることでお祭りの参加者になったんですね。
高校に入ってからは山車作りの手伝いなどはやっていたんですが、当時から「もしお祭りに出るなら、せっかくだから山車に乗って演奏できる大太鼓で出たいです」なんて話もしていました。そうしたら「大太鼓で出るなら高校卒業してからだな」と言われて、それで高校卒業まで期を待っていた面もあります。山車の団体によってまちまちかもしれませんが、そういう決まりがありました。それを理解することで、お祭りで担う責任の範囲が見えてきたり、役割に対するあこがれにつながったりもします。
僕は盛岡観光コンベンション協会の山車にずっと参加させてもらっています。大学1年時に大太鼓として初参加した秋まつりは、3日間があっという間に過ぎました。練習を一生懸命にやっていながらも、初めて山車に乗ったときはガチガチに緊張したことを覚えています。大学4年間は夏休みを利用して盛岡に帰省し、製作のお手伝いをさせてもらいながら太鼓の練習に励んでいました。大学4年間の夏は秋まつりの思い出と結びついています。
秋まつりと山車の魅力を発信し、秋にも盛岡に人を呼びたかった
――そうして秋まつりに打ち込みながら、秋風のサイトの更新もしていたわけですね。
大学1年の秋まつりを終えた翌日に東京に戻ってきて、何の気なしに「ホームページを作ろう」と思い立ったことから「秋風」が始まりました。せっかくだから発信しようということは決めていたんですが、当時は細かいサイトの設計などは考えていませんでした。「まずは山車の写真と解説を掲載していこう。盛岡山車ってそもそもなんだっけ? ということが伝わればいいか」と考えてサイトを作りました。2年、3年と継続していくうちに少しずつ内容を拡充していきました。最初は英語のページも作ろうと思っていて、当時あまり精度が高くなかった翻訳サイトを使って山車の英文解説を掲載したりもしていました。盛岡には盛岡山車という文化があるということを、県外や海外にしっかり伝えたいという思いでした。
――英語ページまで! やはり盛岡の山車文化を発信したいというのがモチベーションだったのでしょうか?
盛岡周辺には、有名な山車が多いじゃないですか。青森にはねぶたもあるし、八戸には三社大祭という有名な山車行事がある。秋田には角館の山車もある。特に八戸の山車は盛岡山車に文化的に近いところがあるんですが、にも関わらず盛岡はあまり知られていない。盛岡の祭りは夏のさんさ踊りが有名ですが、さらにもうひとつの祭りとして盛岡秋まつりの魅力を高めていくことができれば、夏だけじゃなく秋にも盛岡に人を集められるんじゃないかと考えていたんです。だから秋まつりや盛岡山車の魅力を発信したいという気持ちはずっとありました。
――大学1、2年の時点からそこまで地元の祭りに誇りを持ち、発信のため行動するというのは、なかなかできることではないように思います。
それ以前から、秋まつりに狂っていたところがありました(笑) 子どものころから知っている周りの人にとっては、秋まつりといえば僕だったと思いますし、それは今も変わらないと思います。
親から話を聞くと、物心つく前から山車が好きだったようです。家族でミニチュアの山車を作ったりしていました。そのころに盛岡市本町で商売をしていた親友と出会い、その地域は山車文化が息づいていたので、それもあってさらにのめり込んでいきました。
幼少期を振り返ってみて、自分が山車のどこに魅力を感じていたのかを考えると、いつも迷います。ただ、山車の人形のことは怖いなと思っていました(笑) 人形はリアルで大きいからですが、ひょっとしたら怖いもの見たさの魅力があったのかもしれません。ほかには、独特の情緒のあるお囃子は好きでした。これは今でも同じように好きなので、ずっと変わっていないのかもしれません。
もうひとつ挙げるとすると、山車で再現されている場面の意味を、子どものころから両親や祖母に教わっていたのもあるかもしれません。その解説を聞きながら、僕自身が想像力を膨らませていたんです。そのせいか、現在でもサイトで山車の解説を書くときは、文章がどんどん長くなってしまいます(笑) 語りたいことが多いのと、知識が増えたおかげで「なぜ山車でこの場面を取り上げるのか」ということも分かってきたからです。
歴史、民俗、舞台、旅……多様に広がる山車の楽しみ方
――山車では歴史や伝説、歌舞伎などの名場面を再現したりしていますよね。子どものころからその解説を楽しんでいたというのはすごい!
「義経千本桜」という歌舞伎の舞台があります。3歳くらいのころ、夜中にテレビでその舞台が放送され、僕が「見たい!」と言ったらしいんです。それで家族は3歳の僕が寝るまで、その放送を見なければならなかったそうです。今となってはその舞台のすごさや面白さがわかりますが、その時の家族は、テレビに見入る僕を見て「何が面白いんだろう?」と不思議に思っていたとか(笑) きっと当時から、魅力に感じるものがあったんだと思います。
少し話が変わりますが、山車で再現されている名場面の舞台となっている土地を訪れるのも好きです。その土地を目指して旅をするというよりは、たまたま訪れた土地でゆかりのスポットなどを発見するのが楽しいんです。「この人のゆかりの土地か」と思ったら、関連する場所を巡ってみたり。山車はお祭りのときだけでなく、その先にも楽しみがあるんです。
――さまざまな角度から山車を楽しむことができる、というのはとても新鮮です。
「秋風」を運営していて気付いたことがあって、歴史学や民俗学も詳しくないとお祭りや山車のことをしっかり理解できないんです。ほかにも文化伝統や歌舞伎のような舞台の知識もあったほうがいい。日本に伝わるものをまんべんなく知らないといけないし、それを勉強できるのが面白さでもあります。お祭りに関わってのめり込んでいくなかで、お祭りや山車のことが違う角度から見えてくることに気付かされました。
――「秋風」のサイトには、盛岡山車の歴史やルーツについても充実した資料がありますが、あれもすべて小山さんが調べたものなんですよね?
そうです。各資料は引用元を示しながらサイトに掲載しています。たくさんの資料を調べていくと、資料と資料の間で歯抜けになっているところが見つかります。その歯抜けになっている部分をどうやったらつなげられるだろうか、と考えることがとても楽しいですね。
専門家の方がまとめた研究を調べたりもしますが、お祭りに関わっていくなかで研究とは全く違う話と出会うこともあります。何十年もお祭りに参加しているおじいさんたちの話を聞くと、すごい示唆をもらうことがあるんです。「え、そんな話があるんですか!?」という驚きが、僕も未だにたくさんありますから。それはとても面白いですね。
「秋風」での発信を通じて、新たな人や情報との出会いが生まれる
――「秋風」を通じて10年以上にわたり盛岡山車や秋まつりの発信を続けてきて、よかったことや手ごたえなどがあれば教えてください。
いっぱいあります。サイトを立ち上げた最初のころは、「小生意気な小僧が祭りについて知った風なことを書いている」と思われることもあったと思いますが、最近では頼ってもらえることも増えました。それはずっと継続してきたからだと思いますし、僕は批判を受けたときでも耳を傾けるようにしてきました。そのおかげなのか、祭りに関するさまざまな人たちとのつながりが生まれたんです。盛岡以外の祭りとも関係ができて、たとえば僕は岩手町沼宮内のお祭りにも関わらせてもらっています。これも「秋風」を見てくれた方に、声をかけてもらったことがきっかけです。
ほかの土地を訪れたときも「秋風を見ている」と言ってもらうことも多く、そこで新たな盛岡秋まつりの情報と出会うこともあります。「秋風」を継続してきたことでたくさんの出会いがあり、その出会いから得られた情報をまた「秋風」で発信しています。決して独力で続けてこれたわけではありません。「秋風」はもう14年も続けていますから、僕の人生の半分近くになります。その意味では、「秋風」は僕の人格を形成する一部になっているんだと思います。
高校生など若い世代のお祭り好きも「秋風」を見てくれているようです。今の高校生はデジタルネイティブ世代ですから、「秋風は物心ついたときからありました」と言われることもあり、うれしい反面驚きでもありますね(笑) 僕が「秋風」を立ち上げたころは、盛岡山車をネット上で検索してもほとんどヒットしなかった。でも今は高校生たちも、SNSで写真とともに自分が好きな山車やお祭りを発信しています。図らずも自分が望んでいた世界になってきているなと感じます。そんな世界の実現に、「秋風」が少しでも貢献できたとしたらうれしいですね。
――今年(2020年)は新型コロナウイルスの影響で、残念ながら盛岡秋まつりも中止となりました。来年以降、あるいは今後、「秋風」で実現したいことがあれば教えてください。
まずは、最近仕事にかまけて滞りがちなサイトの更新をしっかりやりたいですね(笑) お祭り関係者の方から「実は秋風の更新を楽しみにしている」という声をもらうことが多いので、それが直近の目標です。
盛岡山車の歴史をたどるという意味では、長いスパンの目標があります。いちばん最初の盛岡山車は、どうやら江戸の豪商が山王祭で購入して盛岡に持っていったというエピソードがあるようで、それをどうにかしてたどってみたいと考えています。東京は空襲や関東大震災で街がたびたび被害を受けているので、資料を探すのは難しいかもしれませんが、どうにかルーツを探りたいですね。
――今後の更新も楽しみにしています。お話いただきありがとうございました!
写真提供:盛岡山車非公式サイト 秋風
聞き手:シュン