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インタビュー

【スポットライトモリオカン】盛岡だからこそ「ファッションに関わる夢」が膨らんだ・スタイリスト・佐藤英恵さん

盛岡を離れて活躍している方々にスポットライトを当て、盛岡との関わり方や盛岡愛をうかがい、さらに次のインタビュー対象者を紹介していただくリレー形式のインタビュー企画「スポットライトモリオカン」、第7回をお送りします。前回をお話をうかがった大手町「和ルミネーション」実行委員の千葉さんからのご紹介で、ファッションスタイリストの佐藤英恵さんにご登場いただきます。今回もオンラインでお話をうかがいました。
 

服への憧れが夢への出発点

――盛岡との関りについて教えてください

盛岡市門地区で育ちました。高校卒業まで盛岡で過ごし上京し、服飾関係の大学に進学しました。スタイリストの仕事は企業に就職というよりプロに弟子入りする形が多く、私も大学卒業後はプロのスタイリストにアシスタントとして就きました。計2人のスタイリストの下で4年半ほどの修業期間を経て、それから独立しました。

――なぜファッションスタイリストを目指そうと思ったのでしょうか

小さいころから女の子の絵を描くのが好きで、なかでも洋服のデザインを考えるのが好きで、小さいころはぼんやりとデザイナーになりたいと憧れをもっていました。ですが中学や高校に進んでも、ファッションに関わりたいという気持ちは消えませんでした。大学進学を前に改めて進路を考えたとき、ファッションに携われる様々な職業を知っていく中で、デザイナーは自分には難しいかもしれないと思いました。一から何かを生み出す力が自分にどれほどあるのか、自分はそのフィールドで生きていけるのか自信が持てませんでした。そうなると――スタイリストかなと。はじめは専門学校に通うことを検討していましたが、周囲の勧めもあって4年制の大学を選びます。結果的に、一般教養など幅広いことを学べ、時間も専門よりは余裕が持てたので大学を選んで良かったなと思っています。4年間、大学内外いろんな人と出会い関わることが出来ました。

――服に対する憧れが出発点だったわけですね。

そうですね。それはずっと変わらずありました。5歳下に妹がいるのでのですが、妹をコーディネートするのがすごく好きでした(笑) 妹が小学1年生のころには毎朝洋服を選んであげて、髪を整えてあげていました。自分でも服を選ぶのは好きで、盛岡の服屋さんで服を買って楽しんでいました。中学や高校のころはフェザンや映画館通りにあったセレクトショックに通っていました。友達と遊ぶときもよく寄って品揃えをチェックしていました。上京してからはオシャレな人がたくさんいて、ちょっと心が折れかけていた時期もありましたが……。

幼少期、お祖母さんからもらったお気に入りのワンピースを着てうきうきしている様子


――インターネットも現在ほど発達していなかった当時の盛岡で、ファッション関係の夢を描くことは結構ハードルが高かったんじゃないかと想像します。

高かったと思います。周りにそういうキャリアを歩んでいる方がいなかったので、どういう道を進んだら自分が夢にたどりつけるのかが分かりませんでした。自分も不安でしたし、家族はもっと不安だったと思います。

――ファッション的に考えると、当時の盛岡は決して恵まれた環境ではなかったと思います。そんななかで夢を育てていくのは大変だったんじゃないでしょうか。

いま振り返ると、そんな環境だからこそ、自分の中で夢が大きく膨らんでいた面があります。中学、高校も運動部でしたし、直接ファッションにつながる活動をしていたわけではないのですが、「自分は将来スタイリストになるんだ!」と決めていました。

ファッション雑誌は毎月楽しみにしていて、中学のころはセブンティーンを愛読していました。盛岡にはないブランドがたくさん載っていて、「こんな服があるんだ、かわいいな、いいな」と憧れていました。
 

オシャレな同級生と切磋琢磨した東京での大学生活

――大学に進学してからどんなことを勉強されたのか教えてもらえますか。
大学では年中服を作っていました。基礎的な洋裁、和裁から色彩のことやファッションの歴史などなど。
大学入学直後は新しい環境に直面したせいか、お恥ずかしい話ですが極度のホームシックになってしまいました。実際に大学に行くと楽しいものの、帰宅すると誰も声をかけてくれる人がいないことが辛くて。それにファッションの大学なのですごくオシャレな同級生がたくさんいて圧倒されていたのもあり、「私にできるのかな。こんな辛い思いしてまで、この夢追う必要あるのかな?」とまで思いました。入学式で仲良くなった友達も同じような不安を抱えていて、励ましあって不安な時期を乗り越えました。

――周りの学生のオシャレさに圧倒されたご経験があったんですね。
やっぱりみんなファッションをやりたくて入学しているので、気合が入っている子が多くて(笑) みんな友達でもあり、切磋琢磨するライバルでもあったので、最初は気持ち的に負けちゃいそうになることもありました。

私の大学では定期的にファッションショーがありました。入学してわりとすぐにファッションショーを開催するための衣装製作が始まり、みんなと協力して製作を進めるうちに仲良くなり、徐々に不安がほどけていったように思います。達成感もありましたし、自信にもつながりました。

――実際にファッションについて学んでみて、ギャップなどはありましたか?

憧れが現実になりかけていた時期だったので、リアルな現状を把握し始め、難しいと感じることや不安な気持ちは盛岡時代よりは増していました。その代わり、いろんな感性を持った友達が周りにいたのでワクワクすることも増えました。刺激し合える環境だったので、大学はとても楽しかったです。
ただ、課題はたくさんありました(苦笑) でもそこまで苦だと思ったことはなくて楽しかったです。

卒業制作では学科でひとつの舞台をつくりあげたそう。佐藤さんの代は「くるみ割り人形」の舞台(写真1枚目)で、佐藤さんの担当はマリオネットの女の子の衣装を担当(2枚目)。


――先ほど大学卒業後はスタイリストの方に弟子入りしたとうかがいました。

スタイリストコースの友達のなかでも、卒業後にスタイリストを目指す子はすごく少なかったんです。40人いたうち3人くらいでしょうか。みんなアパレル関係の会社などを目指して就職活動をし始めていました。でも私はスタイリストになりたかった。誰かに弟子入りをしなければならないのはわかっていましたが、実際に弟子入りしたい方は特におらず。雑誌社のスタイリストのアシスタント募集などを見て応募したりしていましたが、人気のある募集は返事が来ないこともありました。

そんななかでたまたまSNSのコミュニティーでアシスタントの募集を見つけ、履歴書を送ったところ採用が決まりました。時期的には4年生の1月くらいだったので、いま思えばギリギリのタイミングですね。スタイリストの方は「いますぐ来られる」人をほしがるので、学校のことがほとんど終わったタイミングじゃないと応募しにくかったという事情もありました。かなり幸運だったと思います。大学卒業前の1月から少しずつアシスタントに入り始め、卒業後に本格的に働き始めました。
 

多くのプロフェッショナルと協力して何かをつくりあげる仕事

――アシスタントとしての働き方は、」そのようなものなんでしょう。「とにかく下積み!」って感じなのでしょうか。

スタイリストによって違うと思いますが、未だにかなり体育会系の業種なので、そういうところも多いかと思います。私もそうで、体力的、精神的にはかなり大変でした。なんとかなったのは、若かったのと、周りの方々に支えてもらったおかげです。

――当時を思い返して、何か印象的なエピソードはありますか。

単純に眠れなかった、というのがあります(苦笑) お風呂に入るためだけに家に帰るのを4日間くらい繰り返したこともあって、それはかなり限界でした。当時入っていた雑誌の現場での撮影中も、何度も意識が飛びそうになりました。あれは危なかったですね。でもこういう大変だったエピソードはたくさんあります。

当時流行していた雑誌が1ページにモデルさんがたくさんいる誌面デザインで、とにかくたくさん撮影をしなければなりませんでした。アシスタントは撮影準備から、撮影現場での着替えの補助、衣装の管理、返却準備、返却をすべてやるので、撮影期間はいろんなことに追われて、あっという間に深夜になります。撮影のときは早朝5時にロケバスが来るようなスケジュールなのでもう眠れなくなってしまいます。

アシスタント時代の1枚。たくさんの荷物を運ぶ後ろ姿に哀愁がにじむ。

 

――思い描いていた夢とのギャップを感じることはありましたか?

ありましたね。でもその時期はやめたいという感情はなくて。辛かったんですけど、「今辞めたら終わりだ。」と。まだスタイリストにもなっていない、何も経験していない状態で辞めるという選択肢は私の中にはなくて、「とにかくやってやろう」と思っていました。日々、悩みやストレスはたくさんありましたが、それでもやる気の方が勝っていました。いろいろ考えるのはとりあえずスタイリストになってからかなと。

ここまでははじめに1年半ほどついたスタイリストさんの修業期間の話で、2人目の方はより幅広いお仕事をされていたので、自分のなかでもファッションに対する考えの幅が広がりました。少しずつ慣れてきたこともあり、このころにはアシスタント業務が楽しいと思えるようになりました。2人目の方の下で3年ほどアシスタント期間を経て、その後独立しました。

――ファッションスタイリストとしては、普段どんなお仕事をしているのでしょうか。

ざっくり言うと、クライアントさんの要望に応えて衣装や撮影小道具を用意するのが仕事になります。そのなかで様々な人たちとコミュニケーションを取りながらひとつの作品を作り上げていきます。タレントさんのテレビ出演用の衣装をコーディネートしたり、CM、WEB、雑誌、広告など様々です。

華やかな仕事に見られることが多いかと思うのですが、体力は必要です(笑) そして気遣いが必要な仕事でもあります。イメージとリアルのギャップでいうと、「スタイリストの感性だけで成り立つ仕事ではない」ということがあります。大切なのは「相手が何を求めているか」「どういう作品にしたいのか」です。相手の要望に応えながら、自分の色をプラスした相手が求めていること以上の提案を心がけています。

――そうなると、ファッションの幅広い知識やバランス感覚も大事になりそうですね。

そう思います。あとは説得力のある人になることも大切ですね。世の中には職業スタイリスト以外にも、服が好きな人も知識がある人もたくさんいます。だからこそ、「この人の提案には説得力があるな」と思ってもらえることはとても大切なんだなと、数年間この仕事をするなかで思うようになりました。

――仕事のやりがいはどんなところにありますか?

一つの作品をそれぞれのプロフェッショナルの方と作り上げていく仕事なので、作品が出来上がったときはやりがいを感じます。自分ひとりではできないものでも、多くの感性や技術、才能、アイディアが集まって作り上げられる。そういう現場に携われるのはこの仕事の魅力だと思います。独立して一人で仕事をしていると、代わりが利かず責任の重さは特に感じます。その分、クライアントさんに喜んでもらえたり、作品に名前が載り残る仕事なのでやりがいを感じることはとても多いです。

実際の撮影現場の様子。

 

盛岡に関わるお仕事をやってみたい!

――いま東京で暮らすなかで、盛岡を思い出す瞬間はありますか?

テレビで福田パンなどの盛岡グルメを目にしたり、仕事で岩手や盛岡の話題が出たりすると、思い出しますね。すぐ周りの人に「私、盛岡出身です!」とアピールします。そして、「ぴょんぴょん舎の盛岡冷麺おいしいですよ!銀座にもあるのでぜひ行ってみてください!」とおすすめしたり(笑)あとは家族が仲が良く、家族LINEで父がよく盛岡の風景や風物詩などの写真送ってくれます。「桜が咲きました」とか。そういうときは懐かしい風景で帰りたいなあと思ったりしますね。あとは盛岡の友達と話していて懐かしいイントネーションを聞くとほっこりします

――盛岡の好きなところを教えてください。

やっぱり食べ物はおいしいですよね。それと、盛岡にいるときはあまり実感していなかったのですが、親切な人が多いように感じます。東京は人が多いので感じにくいだけかもしれませんが。他には、空気や四季に感じる匂いがとても好きです。夏にある舟っこ流しやさんさ踊りといったイベントで盛岡全体がうきうきしている雰囲気がとてもいいですね!

冬も盛岡の方が寒いはずなのに、なぜか東京の方が寒く感じます(笑) 盛岡の寒さは嫌いな寒さじゃないんです。

――今後の目標や挑戦したいことがあれば教えてください。

いまやっているお仕事は大事にしつつ、これまでにやったことのない新しいフィールドに積極的に挑戦したいです。スタイリストとしてお仕事の幅を広げていきたいです。あとは盛岡に関わる仕事をできたら嬉しいなと思っています!震災復興関連で久慈市を訪れてお仕事をしたことはあるのですが、ぜひ次は盛岡に。盛岡でのロケだったり、盛岡の企業さんとのお仕事だったり、お仕事いつでもおまちしております!

――佐藤さんにとって盛岡とは。

盛岡には大切な人もたくさん住んでいますし、大切な思い出もたくさんあります。いまは東京で仕事をしているので、しばらくは東京にいるつもりです。でもいつだって帰れる場所に盛岡があるという安心感があります。私の原点、青春であり、いつまでも温かく迎えてくれる場所だと思っています。

佐藤英恵
盛岡市出身。附属中学校、盛岡白百合学園高校を経て上京。文化女子大学(現・文化学園大学)でファッションについて学び、卒業後はプロのスタイリストアシスタントとして修行。4年半ほどのアシスタント期間を経て独立し、現在は東京に拠点を置いて活動をしている。
@hanaesato110

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